伊勢ノ海部屋の歴史 |
四股名アレコレ
伊勢ノ海部屋は,古く宝暦年間(1751-64年)から現在にいたる約250年の伝統を有する相撲界きっての名門である.江戸時代の大横綱谷風梶之助は二代目伊勢ノ海の門下である.三代目は初代柏戸で,以降十代目までは柏戸を名乗る力士が代々伊勢ノ海を継承した.
明治41年(1908)7月に八代伊勢ノ海(初代藤ノ川改め七代柏戸)が没したため,八国山(八代柏戸宗五郎)が二枚鑑札で九代伊勢ノ海を継いだ.九代は関脇五代藤ノ川などを育成し,昭和8年(1933)ごろ弟子を錦島に託して隠居した.ついで五代藤ノ川は弟子である六代藤ノ川の伊勢ノ海を継承させるべく,十代柏戸を名乗らせた.
十代柏戸秀剛は昭和24年(1949)1月に引退して十代伊勢ノ海を襲名,横綱になった十一代柏戸や関脇七代藤ノ川らを育て,名門の名を更に高めた.昭和57年12月に十代伊勢ノ海が死去したため,七代藤ノ川が十一代伊勢ノ海を襲名し,現在の江戸川区春江に居を移した.
現在の伊勢ノ海部屋からは,八代藤ノ川(同志社大学出身,十両/昭和58年9月,幕内/昭和60年3月,最終場所/昭和62年7月)や北勝鬨(十両/昭和62年1月,幕内/平成元年1月)をはじめ,土佐ノ海(同志社大学出身,十両/平成6年11月,幕内/平成7年7月)や大碇(同志社大学出身,十両/平成9年5月,幕内/平成10年11月)などの関取が輩出している.
以下に伊勢ノ海部屋の系図を示す.
*印が伊勢ノ海を襲名している.
参考:窪寺紘一著「日本相撲大鑑」(新人物往来社)
協力:伊勢ノ海部屋マネージャ 浅坂直人(元雪光山)
- 荒馬 - 十六代目を数える名力士。寛政年間の荒馬源弥、天保年間の荒馬吉五郎の二人は強豪関脇として名高い。部屋の幕内力士十一代目の荒馬鬼吉(初代豊山)は釧路に健在。
- 瀧ノ音 - 文化5年(1808)大関となった柏戸宗五郎の前名。のち四代目伊勢ノ海を継いだ。西宮出身の明治の大阪横綱八陣も若い頃この名を名乗った。
- 大綱 - あの無敵雷電に勝ったことがある寛政時代の名力士。最高位小結。幕内最高成績(現在の優勝)も一度ある。
- 雷山 - 初っ切りの名人といわれた先代雷電は江戸っ子力士。一時、柏戸を名乗ったこともある。また明治時代の雷山は、常陸山を破ったこともあるクセ者だった。
- 荒飛 - 七代伊勢ノ海が若い頃名乗った名前。のち六代柏戸。最高位前頭筆頭。鯱ノ海−猫又−荒飛−狭布ノ里−柏戸と名前を変えたのでも有名。
- 外ヶ濱 - 五代、六代の伊勢ノ海の前名。特に五代を襲名した柏戸利助は、京都五條家より横綱免許をうけた青森出身の名力士。
- 当り矢 - 明治29年入幕し42年まで取った息の長い力士。160cmの短躯ながら、真っ向から勝負をつける相撲で、激しい気性で張り手もみせた。最高位前頭4枚目。取り口と名前とがよく合う力士。
- 黒岩 - 幕末の黒岩森ノ助は、群馬県板倉町出身。前名を藤嵐と言う。関脇まで上がった名力士。幕内最高成績3回
伊勢ノ海部屋ファンブック(平成7年版)より抜粋
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